代表者ごあいさつ

代表者ごあいさつです

マルゼンユニフォームセンター 代表取締役
吉松 潤二・プロフィール

信条

一所懸命
自己PR
 
40年間、ユニフォーム一筋です
ユニフォームの事なら、誰にも負けません、
お任せください!!

 私の年表

 1957年(昭和32年) 佐賀市生まれ

 1969年(昭和44年) 佐賀市立勧興小学校卒業

 1972年(昭和47年) 佐賀市立成章中学校卒業

 1975年(昭和50年) 佐賀県立佐賀西高卒業

 1979年(昭和54年) 國學院大学卒業

 1979年(昭和54年) マルゼンユニフォームセンター入社

 1983年(昭和58年)  同社  営業部長

 1986年(昭和61年)  同社  常務取締役

 1989年(平成元年)  同社  代表取締役


 

 役職・活動

 佐賀商工会議所・小売部門会員

 佐賀青年会議所(昭和62年~平成7年)

 佐賀市まちづくり50人委員会・委員

 佐賀市教育委員会・地域文化活用研究会委員

 佐賀カトリック幼稚園PTA会長

 佐賀市立勧興小学校父母と先生の会会長

 佐賀市立成章中学校PTA会長

 

所属団体

 佐賀ロータリークラブ

詳しい代表者プロフィール

子供の頃から大学時代まで

昭和32年、佐賀市白山商店街のど真ん中で生まれ育ちました。

小さい頃の遊び場は、当時の「佐賀銀天夜市」で人がいっぱいで通れない商店街の上のアーケードの屋根でした。

大きくなると勧興小学校・成章中学校とバスケットボールで走り続けました。

小学校時代は、初の佐賀市バスケットボール杯で準優勝、中学校時代はバスケットボール部のキャプテンとして佐賀市中体連でベスト4に進出しました。

また今でも佐賀市の中心である「中央大通り」が開通した記念式典で勧興小学校金管バンドの先頭指揮者で佐賀市長より前を行進したことが大きな思い出です。(笑)

佐賀県立佐賀西高校に進むと、校風である文武両道に励みました。柔道、剣道、ラグビーとスポーツに打ち込み、囲碁部と自分で立ち上げた映画部でも情熱を傾けました。

その映画部で構想した8mm天然カラー映画「ガタゲストヤード」は、自らが監督・脚本・カメラの三人役を務め、佐賀西高生徒60名が出演する一大巨編映画を作り上げました。

その作品を高校卒業30周年同窓会で上映した時は、会場の300名一同を再び感動の渦に巻き込みました。

大学は上京し、日本文化に興味を持っていた影響で神道学科がある國學院大學に進学しました。本学は神道の研究・教育機関であった皇典講究所を母体とした大学で日本の伝統文化などを教養課程に取り組み、ここでの学びが後の「歴史大好き人間」としての形成の時期でもありました。

さらに大学時代には、自分でやったことのないスポーツがしてみたいとテニス部に身を投じました。そして高校時代からのテニス経験者が多い中、大学3年生の時には、部員からの信頼ある推薦を受け「主将」となり総勢160名の部員を引き入り、10日間の「地獄の合宿」を乗り切りました。

(昭和30年代のマルゼンです)

社会人となって

大学卒業後は、帰郷し父が経営するマルゼンユニフォームセンターに入社しました。最初は、営業で佐賀県内のお得意様を一件一件、挨拶まわりから始めました。

今から30数年前ですがこの中には現在でも当社よりユニフォームをお買い上げいただいているお客様が多数いらっしゃいます。新入社員である私を温かく受け入れてくださり今でもお買い上げいただいているお客様には本当に感謝しています。

その後、年齢とともに会社も少しづつ大きくなり、私自信もヒラの営業マンから営業主任、営業部長、常務取締役と成長していきました。そして平成元年には、会社の代表取締役となり社長としてマルゼンユニフォームを運営していくことになりました。

営業は順調で、仕事は充実して趣味も広がりました。かつてのスポーツ好きが高じて山登り、旅行、ひいてはオフロードバイクに興味を覚え若さを謳歌していました。

 

苦境の時代に突入

ところがこのように順風満帆に過ごしてきた私の人生に大きな苦境が待ち受けていました。

日本経済のバブル崩壊がマルゼンユニフォームセンターを大きく揺るがします。

高度成長期に大量に作業服を買っていただいた大きなお得意先が次々に倒産しました。

企業も銀行も不景気のあおりを受け、ユニフォームを廃止し、その影響で多くの商店もが制服を廃止し始めました。

今まではあたり前のように売れていた作業服や事務服がとたんに売れなくなってしまったのです。

売上げの減少に伴い、会社の経営が大きく揺らぎ、それまでいた男性営業マンも次々と辞めていきました。売り上げは減る、従業員はいなくなる、来月の収入もままならない危機が訪れました。

もちろんユニフォームメーカーも同じように売れなくなり生産を縮小し、カタログや販促品も次々に縮小していきました。つまり悪循環である「負のスパイラル」です。

こうなったら社長という肩書など名前だけです。少しだけ売れる白衣やエプロンを配達し集金して、そのお金をそのまま銀行に持っていく毎日が続きました。

今、振り返るとこの頃が会社の苦境の時代でした。昭和11年に祖父が始めた「マルゼン洋品店」を「マルゼンユニフォームセンター」に変え、私が社長になった途端に苦境の時代に投入したのでした。

このような時期が一年ほど続きました。このままでは、ユニフォームは売れない、会社がダメになると感じました。

そこで当時、すこしづつ売れていた白衣に目を向けました。それまでは、大量に売れる作業服が主体で白衣は片手間のように感じていたのです。

しかし、白衣はその多くが女性が着ていました。なのでこれは女性の営業がいいかもしれないと思い、初めて女性のスタッフを採用しました。

救世主の入社

このスタッフが我が社・マルゼンユニフォームセンターの救世主となりました。明るく元気で笑顔で営業に回ってくれました。すると面白いように女性の白衣の受注を取ってきてくれました。採寸やサイズ交換、補正も女性なのでお客様も安心です。

それまでは売れなくなった作業服の減少分をどんどん白衣の売れ上げでカバーしていきました。そしてこのスタッフの営業力で事務服も少しづつ売れるようになってきました。

この営業スタイルで行こうと決心し、以来、マルゼンユニフォームセンターで少しづつ女性を採用していきました。

すると採用するスタッフがみな優秀で、会社は3年ほどで危機的状況を脱することができました。今、いるスタッフもみんなこの頃からの女性スタッフです。

私が社長に就任して5年くらいが経ち、世の中はインターネット時代へと変わっていました。そこで私はこれに対応してネット販売に乗り出したことです。最初は、ブログを活用して会社を宣伝していました。そして自社サイトを立ち上げ初めて販売先を佐賀県内から県外へと販路を開きました。

今ではネット販売はあたり前ですが始めた当時は、採寸や見本をみて頂くことが必要なユニフォーム販売をどう進めていくか手探りの時期もありました。

しかし少しづつ全国のお客様から注文をいただく中で課題をクリアーし、ユニフォームを多くの皆様にお届けすることができるようになり自分なりの社会への貢献度が成長できるという喜びを感じだしました。

これからの時代は、ネット社会の比率が高まるかもしれませんが、商売の基本はひとりとりのお客様を大切にすることだと思います。苦境の時代にユニフォームを買って頂いた地元のお客様を大切にして今後も新入社員当時の営業マンの気持ちを忘れずにやっていきたいと思います。

生まれ育った佐賀で

原点はやはり自分が生まれたこの佐賀市、自分が育ったこの佐賀県のお客様を大事にしてこそわが社も成長できると信じています。

おひとりおひとりの顔が見える商売、完全なフォローができるビジネス、このリズムを大事にしていき、より多くの皆様に快適なユニフォームをお届けしていきたいという思いでこのホームページを立ち上げました。

弊社、マルゼンユニフォームセンターは「佐賀市で一番売れているユニフォーム屋さん」「佐賀市で一番親切なユニフォーム屋さん」をモットーにこれからも地域の皆様に喜ばれる会社、必要とされる会社として進んでいきます!!

マルゼンユニフォームセンター 代表取締役 吉松 潤二