赤穂浪士が吉良邸へ討入る場面の有名なシーンです。

しかし当時、浪人である彼らは、実際はあのように綺麗な衣装は着ていなかったと云われます。まず皆があのようにお揃いの衣装を揃える予算もありませんでした。

それにあんな衣装を47人分も作ったのでは、その製造過程から彼らの所業が目立ち過ぎたことでしょう。

(これ、ユニフォーム屋さんの私がもし、赤穂浪士から注文を受けたらの感想です。あんな衣装作るにはいろんな処にいろんなモノを頼まないとだめだからです。)

そして何より普段の偵察や行動で一番便利だったのが「火消し」の衣装であったらしいのです。夜、出歩くときも「火消し」の格好なら怪しまれません。それにハシゴや刺股などを持ち歩いても不自然ではありません。こうして彼ら、赤穂浪士は「火消し」の姿に身を隠し、討入りの準備を進めたと云われます。